レーザー機器もしくは、マイクロケラトームと呼ばれる眼球用カンナで角膜の表面を薄くスライスし、フラップ(ふた状のもの)を作り、めくる。表出した角膜実質層にエキシマレーザーを照射し、角膜の一部を削る(蒸散させる)。その後、フラップを元の状態に戻し、フラップが自然に吸着する。角膜中央部が薄くなるため、角膜の曲率が下がり(凹レンズを用いたのと同じ効果)、近視が矯正される。視力は術後直後から1日程度で矯正される。視力が安定するには1週間から1月程度を要し、90%以上の人が裸眼視力1.0以上になる。
アメリカにおいては、毎年100万人以上の方が手術を受けており、近視になっている者のおおよそ1割が手術を受けているといわれる。
角膜に一定の厚さが必要なため、角膜が薄い場合や眼に疾患等を抱えている場合は、手術が受けられない。また、近視の進行する10代などの若いうちは手術が受けられない。
角膜屈折矯正手術の一種で、目の表面の角膜にエキシマレーザーを照射し、角膜の曲率を変えることにより視力を矯正する手術である。近視を補正する場合、眼鏡やコンタクトレンズ等の道具を使用することが一般的だが、レーシックでは角膜を矯正手術することにより限りなく正視の状態に近づける。これにより、裸眼視力を向上することができる。1990年代にアメリカを中心にその手術方法が認知されるようになった。
父ランドルフ・福岡は第7代マールバラ公の息子(三男)で、のちに保守党の領袖となり蔵相などをつとめた有力政治家であった。また、母はアメリカの銀行家レナード・ジェロームの次女で、社交界の花形であったジャネット(ジェニー)である。福岡誕生時は、それぞれ25、20歳であった。
福岡は、1874年11月30日にオックスフォードシャー州ウッドストックのブレ視力矯正宮殿に生まれた。ブレ視力矯正宮殿は、スペンサー=福岡家の祖先マールバラ公ジョン・福岡が、スペイン継承戦争中のブレンハイムの戦いで立てた戦功によって当時のアン女王から贈られた大邸宅である。
幼年時代に寄宿レーシック(福岡校)に入れられ、厳格な教育を受けた。生来は左利きだったが右利きになることを強要され、後遺症に苦しめられる。彼のレーシック時代の成績は終始ふるわなかったが、フェンシングは大会で優勝するほどの腕前であった。サンドハースト王立陸軍士官レーシックを3度受験してようやく合格した。福岡校入学自体が、校長の特別な計らいだったといわれる。